コトデン掲示板 (55) | ||
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投稿者> 笠谷@電鉄倶楽部 | |
投稿日> 12月11日(金)16時19分51秒 | |
琴急は戦時中不要不急路線とされレールを供出させられましたが、 国鉄と競合しているコトデンにも「レールをよこせ」との圧がか かりました.塩江線や志度線の東半分は休止となりましたが、琴 平線については「国鉄がやられた時に代わりに使う鉄道やないか」 と抵抗し、撤去を免れたとの話があります.確かに多度津~高松 間は1本では緊急時に不安があったんでしょうが、当時のコトデ ンの意気が感じられるエピソードです.(私は生まれてません) |
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投稿者> 笠谷@電鉄倶楽部 | |
投稿日> 12月11日(金)16時11分00秒 | |
琴参についてはピクトリアルの瀬戸大橋開通記念四国の鉄道特集に詳しく 出てます.線路跡も概ねたどれます.トンネルは改修されてますが鉄道の 複線分の幅なのですぐに分かります.JRの車内からも見えます.琴平の 北方、上り列車の左側車窓です. 琴急は記録が少ないのか見当たりませんね.戦時中の話ですから. 琴平付近は廃線跡らしき道路が地図で確認できますがあとはちんぷんかん ぷんです.坂出から飯野山あたりを通って抜けてたはずなんですが.数年 前に自動車で探索したんですが何も見つかりませんでした. 塩江温泉の車輌はステーションさんのページに写真があります. このページからリンクされてます. |
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投稿者> 太白区・相原秋海 | |
投稿日> 12月10日(木)23時59分40秒 | |
琴平参宮電鉄廃止後、単車の置き換え用に昭和39年9月、6輌を譲り受け モハ181~186として使用されていましたが184・185が昭和44年 6月に、残りが昭和45年3月に廃車されました。高床で乗客の評判が 悪かったためか非ワンマンボギー車の中では最初に整理されました。 車体も在来車より大きく(1型から1000系に至るまで仙台市オリジナル車は 前面が絞られている事を思い起こしてください。)旧北二番丁車庫跡の市バス 木町通駐車場に残る市電時代の架線柱には「180型入線禁止」の文字が残り (現在は植え込みの影になって見えませんが。)思わず納得したものです。 仙台市電ネタといえば名古屋市の1070型は「仙台市の注文流れ」とされて いますが実際は戦時中一旦割り当てられた枠を名古屋が奪っていった(呉からも) 物でして結局仙台市80型と同じ年に落成しています。(1月と12月) さらに脱線して・・・家の前で国道4号線が東北本線を跨いでいますがこの陸橋、 市電の南下を考慮して勾配を決めたとのことです。 最後に話を戻して・・・琴急の会社そのものは琴参に吸収されたんでしたっけ? ちとうろ覚え・・・・。 |
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投稿者> 佐々木雅張 | |
投稿日> 12月10日(木)21時15分46秒 | |
ご無沙汰しております。 そろそろオフミのことを考えないといけないですね。 >で、前回のML生きてたらまた使わせて頂きたいのですが。 まだ生きてますので、どうぞお使い下さい。 |
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投稿者> 村上 雅則 | |
投稿日> 12月10日(木)20時15分13秒 | |
口火を切った以上責任とらねば・・・。(笑) えーと、まだ先の話ですし、年明けくらいから色々案を練るって ことでいいでしょうか? で、前回のML生きてたらまた使わせて頂きたいのですが。 |
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投稿者> 海 | |
投稿日> 12月10日(木)08時03分22秒 | |
さとうさん 以前高松中央図書館で調べたときに、広軌と記述があった様な気がします。私の方もうろ覚えなので 再度調べて見るつもりです。名鉄への投入路線については私の勘違いかもしれません。 琴急、琴参については、ご存じと思いますが「鉄道廃線跡を歩く」(宮脇俊三著/JTB出版)という本に かなり詳しい記述があります。 |
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投稿者> 園田 | |
投稿日> 12月10日(木)01時20分11秒 | |
ご無沙汰しております。 阪急とは関係ない、しかもギャンブルとも無縁の園田/in地気でございます。 スクエアさん: > そして今日の帰りは京急車を使った「エアポート特急」に乗り > ました。まぁ早い事早い事・・・。14分で羽田に到着です。 > シートが7割位埋まる程度で少し気になりましたが、うぅん快適。 > 羽田で記念入場券を買ったのは言うまでもありません。 オッホン!! そうでしょうそうでしょう。(京急なin地気は鼻高々) 30年後はあの電車を宜しくお願いしま~す。そして、JR四国の青い顔を益々青 くしてあげて下さい。ただし、それまでに仏生山に4両固定編成が入るように して、変電所をもりもり建てて、沢山電気を食べさせてあげないと、機嫌良く 走ってくれないかも・・・。 |
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投稿者> 琴電琴平 | |
投稿日> 12月09日(水)21時15分46秒 | |
そういうことだったのか。 琴参の方はだいたい疑問が解けました。 しかし。琴急。ダイレクトに坂出ですか? 確かに、不急不要路線ですなぁ。うん。 そう言えば、いつぞやの航空写真はそんな感じだったような気がします。 初めて見たときは、琴電が国鉄をくぐった辺りで琴電琴平と郵便局の辺りに 分かれていたように感じたので、あれ?と思ったのを思い出しました。 琴急と琴電は少し併走してたのでしょうか?興味、湧きますねぇ。 それにしても、琴急の経路が気になってしかたありません。 途中に大きな村があるか?謎が謎を呼ぶ。 琴電と話しがそれたな。 一つ、気になっていることがあります。 福井鉄道に、両運転台の阪神車がいますよね。 やはり、非冷房の2扉のやつ。 まさかとは思いますけど、阪神からダイレクトに渡ったんですよね。 好きなんですよ。琴電の単品阪神車。もちろん琴平線レベルの話しだけど。 昔のった準急が忘れられなくて。重連でめーいっぱい気張って。 岡本から琴平までは、ホント。琴電の準急ぅぅぅぅって感じでしたよね。 |
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投稿者> さとう | |
投稿日> 12月09日(水)15時50分41秒 | |
琴急は広軌ではなく狭軌では?それと名鉄では美濃町線でなく揖斐谷汲線で使用 されたと思うのですが‥‥私のカンちがいだったか? 以上、チャチャいれでした失礼します。 |
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投稿者> 海 | |
投稿日> 12月09日(水)12時21分23秒 | |
琴電琴平さん >琴平急行は結最近まであったような気がします・・・ 琴急は戦時中に資材供出のためレールをはがされ、営業休止になっていたそうです。 琴電琴平さんがおっしゃっているのは琴参電鉄(会社自体はバス路線として健在)だと思います。 琴急は琴平から飯野山の脇を通って坂出までダイレクトにのびていたそうで、善通寺は経由していません。 琴参電鉄の方は確かに昭和38年まで残っていたようで、私の会社の人の中にも学生時代使っていた人が いました。 ちなみに、琴参は狭軌(1067mm)の路面電車タイプの車輌で、一方の琴急は広軌(1435mm)の 郊外電車タイプ(いまの長志線と同じ大きさか?)だったそうです。琴急の車輌は営業休止とともに名鉄に 譲渡され、180形として昭和43年頃まで美濃町線系統で走っていたそうです。 |
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投稿者> 広瀬はるかず | |
投稿日> 12月09日(水)12時17分18秒 | |
琴電琴平さん> それは琴平急行ではなく琴平参宮電鉄のほうですね。 ホテルが参宮、郵便局が琴急の琴平駅でした。 琴平参宮の電車は廃線後、仙台市、北陸鉄道金沢市内線→福井鉄道、土佐電鉄 に譲渡されましたが、廃線・廃車でいずれも現存していません。 琴平急行は戦時中に不要不急線として休止(廃止)されました。車両は名鉄に譲渡 されました。廃車後1両の車体が岐阜工場の倉庫として使用されていましたが、 2.3年前に解体され現存しません。 川井さん> 能勢328の解体は残念です(T_T)。やはり保存って難しいことなんですね。 大江山の2800には長生きして欲しいものです。でも、もうちょっと北上すれば 加悦だから、ここで保存してくれないかな ^^)。 よねくらさん> ホビーセンター・・・・・・・・ 自宅、その近くです ^^) ですから、はじめて琴電に行ったとき、置物が動いてる!と結構感動したものです。 積田さん> 津軽の川崎造船は、1両待合室になってしまったんですか・・。 昨年夏の訪問のときは未だ五所川原にいたので、その後の処置でしょうね。 |
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投稿者> 積田宏 | |
投稿日> 12月09日(水)11時56分13秒 | |
広瀬さん> 津軽の客車になつたものは、ナハフ1201は五所川原駅構内で倉庫代用に、ナハフ1202は金木駅構内 にキハ24とならんで留置されていてこの車両だけは待ち合い室としての使用です。 ナハフ1203は夏はビール列車として使用されたようで、11月15日時点では五所川原駅構内でピカピカ の状態でしばらくは安泰のようです。 |
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URL> http://www.tcup4.com/440/pp.html |
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投稿者> よねくら | |
投稿日> 12月09日(水)09時35分37秒 | |
12月5日:ホビーセンターカトー(東京)に行った。 敷地内に飾ってある”やつ”が最近非常に気になって 仕方が無い。クリームとサーモンピンクにぬりわけて 「長尾行」の看板つけて・・・うひょー!!! 12月8日:仕事で川崎に行った。新橋から羽田空港行特急 に乗った。なんと住都公団の9000がきた。 品川から2100の快特に乗った。途中ですれ違った1000 の8連はクリームとサーモンピンクに塗り分けられ、行き先表示は ”特急88H高松築港”・・・うそで~~す。 ・・・・完全に琴電中毒になってます。すいません。 |
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投稿者> 琴電琴平 | |
投稿日> 12月08日(火)22時45分12秒 | |
いやぁ、そうなんですか。佐藤さん。 その時代で標準軌で非電化ですか。すごい。 広瀬さん。琴平急行は結最近まであったような気がします。 うちの父が昭和19年生まれで、高校時代丸亀までそれで通っていたそうですから。 そのころは、今の郵便局、ホテル琴参閣のあたりに駅が集中していて、 一大ターミナルを形成していたようです。航空写真を見たことがあります。 路線あとも多く残っていて、善通寺大麻のトンネルもそうです。 丸高前の四車線の道の中央分離帯の下には今でも線路が残っているという噂も。 ついこの間までは、バスターミナルがあって、結構賑わっておりました。 時代も変わったものです。そりゃ志度・長尾線にも冷房車が入りますよ。 この間久しぶりにジェットカーで通勤した。ホント。ジェット機並に揺れる。 まだ旧型車の方がいいんではないのか? |
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投稿者> かば/川井 | |
投稿日> 12月08日(火)22時36分16秒 | |
広瀬さん、はじめまして。 阪急の保存車について判る範囲で補足を。 能勢電の328は残念ながら解体されてしまいました。 やはり保存するだけでも維持費がかかるのでそう簡単にはいかないようですね。 大変きれいに保存されていただけにもうちょっと方法はなかったのかと思いますが。 福知山の2861は保存から日が経っていないだけまだきれいですが先日出たピクトリアルの 特集号を見る限りは民間の保存車は状態は良くないようです。2861も先日見てきた友人に よると色あせてきているようです。活用すると聞いていますが大事にして欲しいものです。 あと、正雀に保存されているのは920ではなく900ですね^_^)。 |
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投稿者> スクエア | |
投稿日> 12月08日(火)21時24分07秒 | |
こんばんは。皆さん。 コトキチさん> 試験関係の出張じゃないですよぉ・・・。マニアックな出張には 変わりありませんが・・・。 さて私、先ほど最終のJAS便で帰高したのですが、前回の カキコどおり、出張先が品川だったこともあり、羽田から京急を 利用しました。行きは京成の車輌を使った「特急」で、品川まで 22分位かかりました。 そして今日の帰りは京急車を使った「エアポート特急」に乗り ました。まぁ早い事早い事・・・。14分で羽田に到着です。 シートが7割位埋まる程度で少し気になりましたが、うぅん快適。 羽田で記念入場券を買ったのは言うまでもありません。 ちょっと横道に外れたスクエアでした。 |
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投稿者> 広瀬はるかず | |
投稿日> 12月08日(火)12時14分31秒 | |
笠谷さん> 川造ですけど、確か未だ大鰐のやつは除籍処分されていませんよね。あと、津軽の客車 になったのも健在です。まあ、どちらも明日にでも除籍されそうですが・・・。 西武151は譲渡の際に徹底的に更新がされているので、特に長持したんでしょうね。 阪急600といえば川崎重工に保存されているのを一度でいいから見てみたいです。 しかし、阪急だけは例外的なくらい保存車が多いですね。 正雀に1、デロ、P6、920 川重の600、アルナにも規格型が・・・。しかし、近年廃車の1100 (まあ、能勢にいますが)とか2800(1両大江山にいるそうですが)になると駄目ですね・・。 ところで、能勢電平野車庫に320は未だ保存されていますか? 平尾さん> バスって楽しいですね^^)。私も近頃電車を撮影していません(一番最後に撮ったのは コトデンの72だったりして・・・)。千葉やら立川でバスばっかり撮影していました。 本当は電車もやりたいんですが、どうも最近特に南関東の電車に興味を感じないと いうか・・・。 琴電琴平さん> 香川県で廃止になった鉄道というのは、主なところで 琴平参宮電鉄(坂出・多度津~善通寺~琴平 1964年) 琴平急行電鉄(丸亀~琴平 1943年?) 塩江温泉鉄道→琴平電鉄塩江線(仏生山~塩江 1941年) 志度線の市内線区間(出晴(今の志度線瓦町駅付近)~栗林~高松築港 1945年の戦災で休止 ・のち正式に廃線) です。 塩江のガソリンカーは6角形の片ボギー車でした。例えて言うなら花巻電鉄の馬面電車の 車体幅を広げて全長を縮め、正面を1枚窓にした感じといいましょうか。 廃線後、満州は新京(今の中国長春市)の市電に譲渡され、短台車を履いて電車に改造 されました。 コトデンから他社へ転籍した車両はこれが唯一のようです。 なお、仏生山駅から南へかつて塩江線が走っていた道を、地元ではガソリン道と読んでいま す(仏生山駅の医院の広告看板にも「ガソリン道」と書かれています)。 |
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投稿者> さとう | |
投稿日> 12月08日(火)11時22分51秒 | |
琴電琴平さんはじめまして >かつて仏生山から塩江まで軽便鉄道が走っていたそうな。 塩江温泉軌道(鉄道?)ですね、法規上軽便だったかはわかりませんがなんと 世にもめずらしい標準軌の非電化線でした、車両も日本国内ではあまり例のな い形状でした(片ボギーだったかな?)たしか戦時中不要不急路線として整理 され中国へ渡り車体のみつかって路面電車にバケたそうです。 |
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投稿者> 海 | |
投稿日> 12月08日(火)09時06分54秒 | |
広瀬さん 箱根モハ101のフォローありがとうございます。 実は小学生の時買った古い本に(木造車を鋼体化した・・・)という記述があったので、予想はしていたのですが・・・ まぁ、いずれにしても(100%東芝純製といかないまでも)東芝製車体が残っているのはうれしいことです。 |
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投稿者> 広瀬はるかず | |
投稿日> 12月08日(火)09時06分28秒 | |
コトキチさん> 箱根登山モハ1型101~107(105欠)の前身、チキ1~7は日車製の車体+GE製の機器+ ブリル台車の組み合わせでした。全車、1950年に東芝で車体を新製しています。 その後1955~1961に台車を交換、主電動機も順次東芝製に変えられたそうです。 ちなみに増備車のチキ8~10は日車+BBC+シュリレーンです (参考文献:天下の剣 箱根山の電車たち 荒井文治 鉄道ファン86-7~86-12) 定員の話> 手元の写真の表記を見ると、100の定員は96人、500の定員は88人です・・ なぜ8人もことなるのでしょう・・。まあ、車両の定員なんていい加減に 決められている(地元西武の3ドア車など、座席の一人あたりの幅が400mm で計算されている)ので、まあどうにでもなるものなのでしょうね。 |