志度線・長尾線 過去の車輌

このページでは、志度線・長尾線での運用を最後に廃車を迎えた車両を紹介します。

30形 27-28
1930年から1936年にかけて汽車会社、川崎車両で製造された、元京浜急行230形です。最盛期には志度線、長尾線の主力として25〜38の14両が在籍していましたが、600形,700形の入線に伴い廃車が進み、現在は志度線にわずか2両を残すのみとなりました。志度寄り偶数車が制御車、瓦町寄り奇数車が電動車です。長尾線では築港寄り偶数車が制御車、長尾寄り奇数車が電動車でした。2両固定編成です。
1977年(昭和52年)に琴電入りしたときは75形と呼ばれましたが、1978年(昭和53年)に改番されました。31〜34はオリジナルの前面非貫通、それ以外は貫通ドア設置改造を受けています。
37-38は1999年(平成11年)7月に、35-36は同年12月に、31-32, 33-34は2000年(平成12年)10月に、25-26, 29-30は同年12月に廃車されました。27-28は2007年7月7,8日にさよなら運転を実施し、廃車されました。
60形 62(39K JPEG)
元京浜電鉄デ37→東急サハ5105。天野工場製。車籍上の製造は1913年(大正2年)という古豪でした。なお車体は昭和28年に琴電で新造されたものです。614-615の入線に伴い、平成14年12月にさよなら運転の後廃車され、現在は高松空港横のさぬき子供の国に展示されています。

60形 65
元京浜電鉄デ34→東急サハ5102。天野工場製。車籍上の製造は1913年(大正2年)で、製造後なんと94年も活躍しました。但し車体は昭和28年に琴電で新造されたものです。志度線で活躍したのち、2006年秋に長尾線に転属となりました。一時は保存用車輌として指定されていましたが、2007年11月のさよなら運転の後残念ながら廃車されました。
60形 67
1926年(大正15年)日本車輌製。元宮城電鉄クハ302。昭和40年に鋼体化されましたが、木造車の雰囲気をよく残していました。614-615の入線に伴い、平成14年12月に廃車されました。

琴平線を走る67+71+25+26の検査回送(27K JPEG)
さよなら運転(45K JPEG)

70形 71, 72(38K JPEG)
元東濃鉄道。昭和50年に琴電に移籍した時には、長い間屋外に放置されていたため、かなり傷んでいました。71はさらに10年以上平木駅に留置されていたため、激しく傷んでおり、このまま廃車されるものと思われていました。ところが長尾線で車両が不足したため、整備され、奇跡の復活を遂げました。白山−井戸間で撮影。
71の築港方前面は東濃鉄道時代の事故のため形状が異なっています。全長14.3mと短い車両です。71は長尾線で活躍していましたが、平成12年10月に廃車されました。72は志度線で予備車として使われていましたが、平成10年11月にさよなら運転をした後廃車されました。

80形 81
元南武鉄道モハ101→国鉄→東濃鉄道。昭和50年に琴電入り。予備車で活躍の機会はあまりありませんでした。志度線で使用されていましたが、600形の入線に伴い、平成10年7月に廃車されました。写真は解体直前のものです。

2000形 230 (29k JPEG)
宮城電鉄→国鉄クハ303。昭和28年に琴電入りし、昭和33年に鋼体化改造され、同時にバス窓に改造されました。今橋駅で撮影。1999年10月にさよなら運転を行い、12月に廃車されました。

750形 750, 760
1951年日立製作所で製造され、岡山県で玉野市営電鉄モハ100形として活躍しましたが、1965年に玉野市営電鉄合理化による気動車化に伴い、琴電に譲渡されました。
当初は750,760,770の3両が在籍しましたが、770は1978年に長尾線内の踏切事故により廃車となりました。750は1999年7月に600形の導入に伴い廃車されました。最後に残った760は、玉野市電保存会の尽力により2006年9月に玉野へ里帰りを果たし、玉野市奥玉のすこやかセンターで静態保存されています。
  • 750 (49K JPEG) 元山−水田間で撮影
  • 760 (55K JPEG) 三条−太田間でcMc4重連回送を撮影
  • 茶色塗装の760 朝の増結運用120と組んで、白山をバックに

    850形 850 (41K JPEG)
    1942年汽車会社で製造され、南武鉄道クハ253→国鉄クハ6012として活躍。志度線で活躍していましたが、600形の入線に伴い、平成10年7月に廃車されました。瓦町駅付近で撮影。

    860形 860, 870 (36K JPEG)
    元西武鉄道モハ225、クハ1224。昭和33年に山形交通三山線(昭和49年廃止)に譲渡され、この時に正面が2枚窓となり、電動車に改造されました。昭和51年に琴電入りし、この時に870の高松側を除いて貫通扉が取り付けられました。600形の入線に伴い、平成10年7月に廃車されました。

    880形 880 (33k JPEG)
    1929年日本車輛製、元東武鉄道クハ1201。長い間仏生山工場南側の留置線に留置され、かなり傷んでいましたが、長尾線の車両不足を補うため、71とともに奇跡の復活を遂げました。長尾線最後のモーターなし両運転台車でしたが、活躍の機会は少なく、平成12年10月に廃車されました。平木−白山間で撮影。

    890形 890 (36K JPEG)
    1928年川崎造船製、元西武鉄道モハ156。山形交通高畠線(昭和50年廃止)に譲渡され、その後昭和51年に琴電入りしました。昭和58年に制御車に改造されました。600形の入線に伴い、平成10年12月に廃車されました。

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